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もしかしたら、「言葉遊び」に過ぎないのかも知れません。 ですが、私の中に、このふたつは歴然とした差があるように思えます。 -------------------------------------------------------- 例えば 「彼と彼女は離婚した」「彼と彼女は別れた」 これは事実だと思う。 当の本人たちはもちろん、周りの誰が見ても、みんな同じことを言うだろうから。 では 「どうして離婚したの?」「どうして別れたの?」 Aさんはこう言った。「彼が別に女を作ったからだよ」 Bさんはこう言った。「彼女に好きな人が出来たからよ」 Cさんはこう言うかも知れない。「彼女に好きな人が出来たから、彼は別れてやったんだって」 Dさんはこう言うかも知れない。「彼の借金が彼女にばれたから、彼女に追い出されたのよ」 誰の言うことが正しいの? 誰の言うことが間違ってるの? もしかしたら、誰の言うことも正しいし、誰の言うことも間違っているのかも知れない。 もしかしたら、当の本人たちも、お互いの思いが違うこともあるかもしれない。 「あのとき、あなたはこう言ったじゃない!」「ふざけるな! お前がこう言ったんじゃないか!」 人間は時間の中に生きています。 記憶は、時間とともに変わります。 記憶は、その人の気持ちのままに変わります。 記憶は、その人の都合の良いように変わります。 それゆえに あのときは理解出来たけど、今は分からない。 あのときは分からなかったけど、今は分かる。 そういうことが、たびたび起こります。 私は思うのです。 事実はひとつ。でも、真実は人の数だけ存在すると。 ---------------------------------------------------- 「名探偵コナン」を見ていて、唯一気に入らないこと。 それは「真実は、いつもひとつ!」と、彼が言い切ってしまうこと。
by m_kyao
| 2005-07-17 09:45
| 日常
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Comments(14)
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アキオ
at 2005-07-17 11:15
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まったくもって、同感。
事実はひとつだけど、それぞれの瞳に移る真実はひとつじゃない。 ってか、視点を変えると正義も変わるように、真実も色を変える気がしますよ。 胸にある想いとともに。 個人的な経験談ですが 離婚してしまうと、案外相手の言ってる事も許せるものです。 その最中は「なにいってんの、わかってないね」と思いがちですが 一歩引いた目で見る事が出来るようになると 「まぁね、あなたの目からはそう見えても仕方ないね」 みたいな、広い心が持てたりする。 余裕が無いと、結局真実は見えない物かもしれませんね。 (真実には色々な見え方があると気づく事) 真実は場所によって色を変えて行く、そういう実感がこの経験でありました。 事実はひとつだけど。。。 そして、またあつくなっている事には、忘れがちになる事ですが。。 コナン君はきっと、事件に入れ込み過ぎなんでしょうね(o^ O^)シ彡☆バンバン
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m_kyao at 2005-07-17 13:10
アキオさんへ
こんにちは! レスをどうもありがとうです!(^^) おお! 言葉足らずで伝えられなかったことが、しっかり代弁されているではないですか! 感動ー! アキオさん、どうもありがとうです。(^^) >視点を変えると正義も変わるように うんうん。まったく仰るとおりですよね。(^^) 「聖戦」なんて格好の良いことを言うけど、結局は「自分に都合の良いこと」を「正義」、「自分にとって不利益になること」を「悪」と言ってるだけですものね。 その人たちの中にある「真実」は、きっと、ひとつの「事実」を別々の見方をしているだけなのでしょう。 >余裕が無いと… そうですね。確かにそう思います。気持ちに余裕がないと、どこかしらで自分の「感情」という色眼鏡で見てしまうということは往々にしてあると思います。ニュータイプという概念は、まだまだ人の理想でしかなさそうですね。(^^) >コナン君はきっと、事件に入れ込み過ぎ あはは。そうかも。まあ、自分たちが行くとこ行くとこで、殺人事件がああも立て続けに起きたらねー(って、違うか)。(^^ゞ
事実は変えられることはないけど、真実は人、時とともに変わる。
その通りだと思います。 ある事柄に対しての記憶は、時間によっても変わってしまうし、 人によっても変わるものだから、けっこう実はあやふやなふんわり したものかもしれません。 ブログを書くようになってから、昔のことをよく思い出すようになった気が します。それは過去の整理とともに、この先自分がどうやって生きて いけばいいのか、あることに対して、こう思っていたけど、今はああ 思うってことがけっこうあるなぁと感じています。 そういえば、最近「名探偵コナン」を見ていないです。考えてみれば、高校生ごときに「真実はひとつ」って言われたくない気もしますね(+_+)
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m_kyao at 2005-07-17 19:35
norinoriさんへ
こんにちは! いくつもレスをどうもありがとうです。(^^) >記憶は、時間によっても変わってしまう… そうですねー。特に思い込みの激しい人ほど、そういう傾向って強い気がします。うちの旦那もそのひとりですが、「絶対こうだった!」と思いこんでいることに限って間違っているとか(笑)。催眠術のショーとか見ていると、人の記憶とかって意外と簡単に書き換えることが出来るんだなあと、逆にビックリしますね。 >ブログを書くようになってから… あ、同じことを私も良く思います。「昔はこう思ってたけど、今はこう思うようになった」みたいなことですね。改めて「人は変わっていくものだ」と(ララァ・スン風に)。(^^ゞ >高校生ごときに わはは! それはたしかに(笑)。「高校生探偵」という設定もすごいですが(資格試験とかあるのかな?)、真犯人を先に高校生にあげられてしまう現役の警察官とかにも問題があるような…。(^^;
おぉ、面白い切り口です!
確かに事実はグローバルな一つの答えですが、真実っていうのは立場の違いで変ってくるんですよね。 昨今の日本の領土問題等も日本側の真実と韓国の真実がぶつかりあってしまっているわけで、事実を基に歩み寄れないものなんでしょうかね?
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m_kyao at 2005-07-17 21:45
くろねこさんへ
こんにちは! レスをどうもありがとうございます!(^^) >昨今の日本の領土問題… そうですねー。でも、ニュースを見る限り、中国にしても韓国にしても、歩み寄ろうとしていないように思えてしまうんですよね。しかも勝手に領海線変えちゃったりしてるし…(日本が示している領海線が正しいとも言い切れないのですが)。 中国などは、一端資源開発やめてくれって言ってるのに、ヤグラ立てちゃってるし(資源が乏しいのは日本も同じ)、韓国なんか監視所作っちゃってるし…。絶望的な雰囲気さえしますね。ふぅ。
真実。そこにあるのは 解釈 という海だと感じますね。
人間の感情の前にはどうあがいても「評価」が存在します。店に行っても、人と話していても、何かを食べても、遊んでも。その評価の仕方は人それぞれ。哲学的に見れば(真実を真理と同位させるなら)、「語られることと、存在するものとの合致」ということになります。つまり、我々の認識に属するものであって、存在(実在)の性格ではありません。なんて、固いことをいうのはいけませんね…。えっと、要するに、真実は解釈の数ほど存在するということです。ナポレオンはフランスから見れば英雄、ロシアから見れば侵略者。そのどちらも真実でありましょう。まさに解釈の海が人類には横たわっていますよね…。
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スナフ
at 2005-07-18 02:55
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客観的な事実とか真実(真理)が「存在」するといえるのなら、誰かがソレを認識していて、他の誰かが認識していなかったとしても、「他の誰か」が否定しても真実は真実、なのだと思います。
「存在」ではなく、「どう思うか」という事柄であれば、「思い」に真実はあまりないかなぁと思います。 思う人の立場や経験に規定されるので、他者とは相容れないこともあるでしょうし。 存在や起きた事象なら、事実や真実というものがあると思います。 「我思うゆえに我あり」ではなく、「我思わなくともあるものはある」と(笑)
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m_kyao at 2005-07-18 08:14
参明学士さんへ
こんにちはー。レスをどうもありがとうでした。(^^) >真実は解釈の数ほど存在する うん。結局、そう言うことではないかと私も思います。しかも、そのときの状況や時代背景、世相によっても、ひとつの事実の解釈はまったく違ってきます。それは特に戦争について顕著ですが、東京裁判や原爆投下ぜひ等々、挙げていけばキリがありません。 結局は、自分が「真実」だと思うことを信じ続けるより無いのかな、とも思います。
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m_kyao at 2005-07-18 08:25
スナフさんへ
こんにちはー。レスをどうもありがとうです。(^^) >誰かがソレを認識していて… うん。結局、それは「人、ひとりひとりについて、それぞれの真実が存在する」という風に私は解釈しています。 私は先のスレッドの中で、真実そのものを否定してはいません。事実は事実として、真実は真実として歴然と存在していると思います。ただ、互いの真実を付き合わせたとき、それらがすれ違っていることも多い、ということをお話ししたつもりです。(^^) >、「我思わなくともあるものはある」 うーん…実は現代物理はそれを否定してしまう側面があります。 例えば、夜空に月が浮かんでいるとします。アインシュタイン以前の古典物理学では、誰も見ていなくとも月がそこにあるのは事実です。ところが、量子力学発見以後、その解釈は変わってしまいました。つまり、私たちが認識しない限り「月はそこになくても良い」と。誰も見ていない森で木が倒れても、誰かが認識していない限りは「木が倒れても、音はしない」と。 正直、私自身はこの解釈が正しいと思っていませんが、人間の意識が物理現象にまで影響を与えるかもしれない、ということですね。
>「我思わなくともあるものはある」
パルメニデスという哲学者は「あるものはあり、ないものはない」と述べていましたが、もうこのヒトは2500年ほど前の人物ですね…。これも彼なりの真実なのでありましょう。物事の不変性を考えていたためにモノが新たに「生成」するという発想をもたなかったようです。それが質量保存的な意味合いを持っていたかどうかまでは、今ではわかりませんけれど。 >量子力学発見以後、その解釈は変わってしまいました。 量子の状態(位置)なんかがそうですよね。まさにヒトが介在することによって、認識することによって決まってしまう類のことなのですよね。シュレディンガーのネコは一体どうなるのやら…。 科学者がコペンハーゲン解釈を堂々と展開する事実を私は受け入れたいと思っています。それを科学的アイロニーとは思いません。科学も哲学も信仰も、「人間がどのように思うか」ということにあまりにも依存しなくてはならないものになっていますよね。
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m_kyao at 2005-07-20 08:18
参明学士さんへ
こんにちは。レスをどうもありがとうです。(^^) >あるものはあり、ないものはない 哲学的な意味合いから、直感的にそう判断したんでしょうね。結局はこれも、「自分が認識出来るものはそこにあり、認識出来ないものはそこにはない」という意味ではないでしょうか?(^^) >認識することで決まってしまう… 純粋な観測という行為によって、そこに示される実態が変わってしまう。なんともおかしな話です。 結局、そこに人間の意識が介在して良いものかどうか…つまり、夜空の星をネズミが見上げたとき、光は収束して量子化されるのか、と言うことにもなります。こればかりは実験のしようがない。 量子力学は人類に多大な貢献をしていますが、唯一、私が納得出来ない部分です。
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くまこ
at 2005-07-20 09:12
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m_kyao at 2005-07-20 12:42
kumakoさんへ
こんにちは(笑)。レスをどうもありがとうです。(^^) >我思わない。ゆえに我無し でも、若い人の中には、そういう人って増えてる気もしますよ。イヤ、マジで。だからでしょう。リストカットしてみたり、自分より力のないものを虐めてみたり殺したり。 結局は自分の生への執着の裏返しなんでしょうが、無思慮な人間が増えたものだなあと…。
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